小説・2

BL二次創作&創作。18歳未満の方はお戻りください。無断転載厳禁です。


眼鏡をかけ始めたのは丁度二十歳の頃だった。視力が落ちたためではなく、眼鏡をかけていれば見なくて済むものがあったからだ。
この世のものではない、モノ。
幽霊だとか精霊だとか妖怪だとか、その手のモノを称してなんというのかは知らないが、とりあえず、その類のモノを名取は見ることができた。
見たいなどと思ったことはない。
霊感があるなどと喜んだことも皆無だ。
見なくて済むのなら、見ずにいたい。積極的にも消極的にも関わり合いたくはない。
ずっとそう思っていたが、しかし、見ることができる、というのはその見たくもない対象にもわかってしまうらしい。
街を歩くだけで、その手の類のモノと目が合ってしまった。
名取に纏わりついてきたこともあった。
総じて不快な記憶しかないので、今となっては思い出したくもない。
視線を合わせなければなんとかなると知ったのは小学校の高学年の頃だった。
中学生になってからは偶然クラスメイトになりしかも出席番号が比較的近く、共同研究の同じ班になるような相手が、運よくか運悪くかはいまだに判断がつかない所だが、いた。恐ろしいほどに、その手の事に詳しかったため、人ならざるモノの対処法をいくつか教えてもらうことが出来た。おかげでなんとか無事に乗り切った。
二十歳になった頃からその手の人外のモノを見る力はぐんと小さくなった。思春期特有の、不安定な心が見せる幻だったのかと自分を無理矢理納得させようと思ったこともあるが、しかし、二十歳を過ぎてもそれなりにその手のモノを見てしまうことがあった。主に、疲れている時などが特に顕著だった。
見たくもないのに見てしまう。
視線を避けるために試しにと眼鏡をかけてみたところ、これが効果があった。
見なくて済むのだ。
眼鏡をはずせば、見たくないモノを見る。
が、眼鏡さえかけていれば、なんとなくあちらの方に見たくもないものが居るなと肌で感じはしても、見えることは決してない。
以来ずっと。名取は必要に駆られて眼鏡をかけ続けているのだ。
特にこの桜丘高校に配属されてからは、自分のカバンにもそして机の引き出しにも予備の眼鏡を入れている。
万が一、今かけている眼鏡が無くなったり壊れたとしても、即座に別の眼鏡をかけられるように。
用心に越したことはない。
それほどまでに、この世ならざるモノが名取は嫌いだった。
今まで、本気でろくな目にあったことが無い。
だから、正門の前の一本だけ枝を伸ばし続けている桜に、何かが潜んでいることに気がついてはいた。
見ないように、ずっとしてきたけれども。
しかし、受け持ちのクラスの生徒の夏目貴志は名取とは逆に、その桜の樹を気にしているようだった。
登校や下校の時には必ず桜の樹の前で足を止める。
授業中やホームルームのふとした瞬間に、窓から見える桜を見ている。
今も、だ。
名取はため息をつきたくなった。
授業中に外を向いてぼんやりしている生徒を、教師としては咎めなくてはならない。
――……面倒だ。実に、面倒だ。
仕方なしに、ため息を一つ吐く。
「……じゃあ、ガイダンスはここまでで、本格的な授業に入るとしようか。最初に勉強するのは『羅生門』という小説だよ。教科書の16ページを開けて。作者名は教科書にある通り、芥川龍之介。みんなもニュースとかで『芥川賞』って聞いたことあると思うけど、あの賞はこの芥川龍之介の業績を記念して作られたものだよ……とかちょっと知ってると話しのネタになるだろ?」
名取はここでいったん言葉を切った。「へー」とか「ほー」とか気のない声があちこちの生徒から漏れてくる。まあ、一応、みんなはちゃんと授業を聞いているらしい。……夏目一人を除いて、だが。
名取は、ちらと、夏目を見る。
教科書は閉じられたままだった。視線も相変わらず窓の外を向いている。
「じゃ、もう一つ。これも話しのネタになるからおぼえておいて。芥川龍之介の師匠に当たるのは夏目漱石だ。漱石はみんな知ってるかい?」
知ってるーと帰って来た声がいくつかあった。
「それじゃ、夏目漱石の書いた本の名前とか、みんなどのくらい知ってるかな?」
教室のあちらこちらから『坊っちゃん』だの『吾輩は猫である』などの書名がてんでばらばらに告げられた。
「なんだみんな結構知ってるんだな」
にっこり笑えば「中学の時の教科書に載っていた」とか「受験の時に文学史で覚えさせられた」だのの声も返ってきた。
「あ、じゃあ文学史とかは私よりもみんなの方が詳しいかもね」
わざとそんなことを言えば、「えー」「無理-」「そんなにしらないよー」と幾人かが答える。
「ま、文学史は受験で出たりもする……かな?まあ、中間期末テストでは筆者の名前を漢字で書けという問題、わりと出されやすいからね。みんな覚えておくように」
はーい、と元気良く、クラス中が一斉に声を揃える。
けれどやはり、夏目はぼんやりとしたままだ。
メンドクサイなあと心の片隅で想いながら、「夏目」と名を呼ぶ。
「は、はいっ!」
がたん、と椅子が音を立てた。
「外の桜が気になるのは仕方がないけどね。授業はちゃんと聞きなさい」
「あ……、す、すみません……」
「まあ、満開の桜は綺麗だけど。……『桜の木の下には死体が埋まっている』から、あまり桜に心奪われないようにね」
「え……」
夏目の顔色がさっと変わった。不自然なほどの変わり具合だった。
けれど名取はわざとそれに気がつかないフリで、夏目から視線を外す。そして、ぐるりと教室中を見回した。
「坂口安吾の『桜の森の満開の下』という小説を読んだことがある人はいるかい?その中の一節なんだよ。この時期に読むにはふさわしいかもしれない小説だし。筆者は芥川の小説を愛読していたらしいからね、まあちょうどいいだろう。うん、そうだな……高校一年生がスタートしたばっかりのこの時期は、部活も始まっていないしみんなも比較的時間に余裕があると思うから、『桜の森の……』とかだけじゃなくて、さっきの夏目漱石の本でも何でもいいから、文学史に名前が上がるような小説をいくつか読んでおくといいよ、と国語教師的なことを言ってみようか」
くすくすと、何人かの女子が笑う。
「『国語教師的』ってなにそれ。変なの名取センセー。先生ってば国語の先生じゃん」
「ああ、そうだったねえ。私は国語のセンセーだったんだっけ?」
ふざけて言ってみる。
「まあねえ、芸能人みたいなかっこいい顔してるから、センセってば国語の先生には見えないかもー」
先ほど笑い声をあげた女子生徒の一人が意味ありげに発言する。
「おお、芸能人?じゃ、テレビとか出てみようかな?」
更にわざとらしくふざけてみる。
「あ、似合いそう」
「名取先生、有名人になる前にサインして―」
このクラスの生徒は実にノリがいいようだ。「サ・イ・ン、サ・イ・ン」と合唱的なコールが湧き上がってしまった。
「はいはい、サインは授業の後でね。今は授業中。じゃ、『羅生門』に戻るよ。まずは一行目から読んでもらおうかな。えーと、さっきのペナルティに夏目、読んでもらえるかい?」
「は……い、」
夏目は青い顔色のまま、それでも「ある日の暮れ方ことである。一人の下人が……」と、つっかえつっかえではあるが、本文を読みだした。


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