小説・2

BL二次創作&創作。18歳未満の方はお戻りください。無断転載厳禁です。

――もしかして、君にはあの桜の樹の所で何かこの世ならざるモノを見ているのかい?
そんなことを夏目に告げてみようかどうか、名取は悩んだ。
聞いて、どうするのか、とも思う。
が、聞くことができないうちに、桜の花は散ってしまった。
花は散っても、相変わらず夏目は桜の樹に目をやり続けている。
「見えて、いたらどうだと言うんだ……」
はあ、とため息をつきながら、とりあえず授業中に実施した小テストの採点を続ける。
くるくると赤ペンを回してみて、いくつかの○や×を書いてみて……。そしてやはり、ため息と共に採点の手が止まる。
ああ、本当に面倒だとも思いながら。名取は考えてしまうのだ。
もしも、そんなことを聞いて、夏目が実は桜の樹の所に何も見えていなかったら。この世ならざるモノ、などと聞く自分は単なる変な人間だろう。
まあ、しかし。それならそれだけで話は済むのだ。
あんまり見つめているから本当に、幽霊の一人や二人でもいるのかと思ってなどと怪談話的に話を誤魔化してしまえば問題もないだろう。
けれど、本当に夏目が何かの存在を目にしているのならば。
……関わり合いたくはない。
正直そう思う。
けれど、学生時代の自分のように、あの手のモノに悩まされているのならば、見て見ぬフリをするのも人としてどうかと思う。
幽霊だのなんだのといった類に悩まされていた時期、自分を助けてくれたというか、なんとかしてくれた者がいた。
友人……とは呼びたくはない。が、知人……というほど縁が遠くはない。中学時代のクラスメイト、というのがまあ差し障りのない紹介文ではあるのだが、中学高校、そして、社会人になった今でもそれなりに付き合いのある相手。
名取の故郷の有名な神社の一人息子。
その名を的場静司という。
――的場に、連絡とか取ってみるべきか……な?
それも、何か面倒というか積極的にはしたくはない。
正直、名取は的場が苦手だ。
除霊の方法だの、真言だのなんだのと教えてもらい、悪霊退治までしてもらったことは恩義には感じてはいるが。しかしである。
――会いたくはないんだけどなぁ……。
正直あまり関わり合いにはなりたくはないのだ。
霊にも精霊にも的場にも。
名取にとっては悪霊も妖怪も的場も同じカテゴリーの中に入っているのである。というか人の皮をかぶった妖怪、と名取は的場のことを思っている。
――ま、的場の手を借りるより先に、夏目に直接あたってみたほうがいいか。
意を決して、名取は立ち上がった。
授業が終わって、そのまま帰宅する生徒の波が一段落ついているほどの時間が経っているというのに今日も夏目は桜の樹の下でぼんやりと佇んでいた。
職員室の窓から、その姿を目に収めて、名取はため息を吐く。
とりあえず、採点は後回しにして職員室から出ようとする。
「おや、名取先生。どちらへ?今日は6時から職員会議がありますよ」
隣の席の藤谷という名の数学教師に声をかけられた。
「いえ、採点に疲れてきたので。気分転換がてらコンビニまでコーヒーでも買いに行こうかと」
「あ、いいですね」
「なんでしたら藤谷先生の分も何か買ってきましょうか?」
ついてこられては夏目に声をかけることもできなくなってしまう。なので、敢えてにっこりと申し出る。
「ああ、すみません。丁度小腹が減ったので……何か、そうですね。おにぎりとお茶とかお願いしてもいいですか?」
「ええ構いません。おにぎりは何がいいですか?シーチキンマヨネーズとか結構美味しいですよね」
「あー、そうみたいですねえ。私はそういうのが苦手なので、一般的な……鮭とか梅干しとか、そんな感じでお願いします」
「了解しました。ではちょっと行ってきます」
行ってらっしゃい、と告げてくる藤谷にひらひらと手を振って、私は職員室を後にした。


桜を見る時、人は普通どんな顔をしているのだろうか。
そう問われれば、かなりの確率で笑顔であると答える人が多いのではないだろうか。
桜と言えば、花見に宴会。先日まで、酒を飲んで盛り上げる様子がテレビのニュースでも流れていた。
桜吹雪に目を見張り、「わあ……っ」と歓喜の声をあげる人。真剣にカメラを構えてベストショットを狙う人。
私見だが、憂い顔は少ないのではないのかと思われる。
いや……、仮に桜の時期に大切な人を亡くした、というのならば憂い顔になってもおかしくはない。
桜の下に死体が埋まっているという小説の影響で、桜を恐ろしく思う人もいるかもしれない。
まあ人それぞれと言えば人それぞれだ。
だから、夏目が悲しげな顔で桜を見上げていようと気にしなくてもいい……とは思うのだが、どうしても気にかかる。
職員室から見た時も今も、夏目は桜を見上げ続けている。
桜の花ならともかく、葉桜を見続けるのにはきっと何らかの理由があるのだろう。
その理由を今勝手に想像してもきっと無意味だ。わかりはしない。知りたいのなら聞くしかないのだろう。
けれど、迷う。
――もしかして、君にはあの桜の樹の所で何かこの世ならざるモノを見ているのかい?
そんなことを聞いてどうしようというのだ私は。
関わり合いになどなりたくない。この世ならざるモノなどには。
迷いながらも夏目から目を離さない。
何か、小さく呟くように夏目の口が動く。もう少し近寄れば聞こえるかもしれないが、この距離では声は聞こえない。わかるのは、桜の樹の上に何かが居て、その何かに向かって言葉を発しているようだ、ということだけだ。
だが、桜の樹の上には何も居ない。
少なくとも、眼鏡をかけたこの目には何も居ないように思われる。
……眼鏡を、外せば見えるのかもしれないが。
けれど、私は外さないままゆっくりと夏目の方へ向かって歩いていく。急ぐことは、しない。
放っておけばいい。
そうとも思う。
迷っている。
けれど、気にかかってしまうのだから仕方がない。
ため息を一つ吐けば、それをかき消すように風が強く吹く。その風は桜の葉も揺らしていった。
ざざざと、葉と葉が音を立てる。
これが、満開の桜の時期であったのならきっと、まるで桜の花びらが紙吹雪のように夏目の髪にも降り注いだことだろう。
それを想像すると美しいなと思ってしまう。
男子生徒に美しいとはまた微妙な表現だ。思わず自分自身を嗤いたくなる。
確かに、夏目には奇妙に目を引かれてしまっているのだが。
そう、決して美形というわけではない。けれど、心魅かれてしまう。
夏目はそんな雰囲気のある生徒だと思う。
じっと観察していればそれなりに整った造作だということはわかる。だが、クラスの女子から秋波を寄せられるような派手さはない。
第一印象は集団に埋没して目立たない、大人しい生徒。
例えばクラスの委員長に推薦されるような感じではなく、図書委員でも真面目にこなしているようなカンジと言えるだろうか。
けれど、気がつけば何故か目で追ってしまっているのだ。
ふとした表情に。
細い指に。
寂しげな、佇まいに。
心が、魅かれるのだ。どうしようもなく。
……教師が、生徒に、それも男子生徒に抱く感情ではないなと自嘲する。
けれど。
そう、舞い散る桜の花びらのせつなさのような。
触れれば溶けてなくなるような淡雪の儚さ。
そんな感傷に似た気持ちを、私は夏目に抱いている。
多分、この感情は恋や愛という種類の物ではない。
きっと、昔の自分を、昔の自分の苦しみを重ねているのだろう。
見えて、しまったから。
誰にも理解されない種類のモノを。
夏目も昔の私のように、普通の人間には見えないものを見て苦しんでいるのならば。
少しでも、手助けしてやれはしないだろうかと思ってしまうだけなのだ。
……この世のものではないモノ達とは無縁の生活を送りたいと、心の底から望んでいるというのに。
眼鏡さえかけていれば、無縁でいられるのに。
何故、私は、またそちらの世界へと足を踏み出そうとしているのか。
ため息を、つく。
言い訳だな、と思う。
手助けしてやりたいというのは嘘ではないが、きっと、私は私の心を誤魔化している。
直視、したくはない感情がある。
ため息を、つくしかない。
あと、十数歩で夏目の横を通り過ぎる。
頭を振って、表情を作る。
教師としての顔になる。
「おーい、夏目」
私に気が付きもせず、憂い顔で桜を見上げている夏目に、なるべく柔らかく聞こえるような声で呼びかける。
「あ……、名取先生……」
「ぼんやりとしてどうしたんだい?」
「いえ……、別に……。なんでもない、です」
「なんでもなくはないだろう。ずっと君はこの桜の樹を気にしているね。満開だった時も、葉桜になった今も。……どうして?」
俯いて、目を逸らす。
「いえ……。そんなこと、ない、です……」
「嘘だな。授業中もずっと見ているだろう?」
「すみません……」
「授業はきちんと聞けとかいう説教をしたいわけじゃないんだけどね。私が職員室にいた時からここにやってくるまでずっとこの桜を見上げていた。これで気にしていないと言われてもね、信じることなんか出来ないだろう?」
穏やかに、なるべく穏やかに話してみる。問い詰めたいわけではないのだから。けれど、夏目は何も答えなかった。口をぐっと結んで、私から目を逸らしたままで。
ただ、桜が葉を揺らす。
ため息を一つ吐いて、そしてゆっくりと私は眼鏡を外した。そして、桜の樹を見上げてみる。
「……しっとりとしたカンジの墨茶色の絽の着物。桜の花びらの刺繍。流れるような長い銀の髪」
詩でも読み上げるかのように、告げる。
夏目ははっとしたように目を見開いて私を見る。
まさか、と。夏目の口が動く。
やはり、と私は思う。
「この桜の樹の上に、居るモノ。……夏目、君にも見えているんだろう?」






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