小説・2

BL二次創作&創作。18歳未満の方はお戻りください。無断転載厳禁です。

ひゅっと、息を飲み込む音がした。夏目だ。まあ……驚いたのだろうね。信じられないのかもしれない。
「な……名取、先生……」
「違うのかい?」
「いえ……、ちがいません。見えて、ます……」
「そう。やっぱりね」
「名取先生も……見える人、なんですか?」
結局、こうなる。今日夏目に声を掛けなくてもいつかは告げたのだろう。普通の人間には見えないモノを私も見ることができるよ、と。いつかは夏目に言ったに違いないのだ。わかってはいるがこの期に及んでもやはりため息をつきたくなる。
「……ああ。眼鏡を外せばね、大抵のモノは見えるよ」
これを告げてしまった以上は引き返せない。けれど、私の心の奥底の、今はまだ直視はしたくはない感情には蓋をする。生徒に、魅かれるなどとは教師失格だ。

夏目は、私の生徒。
その生徒が危ない道に進もうとするのを止めるのも教師の仕事。
だから、今日、今、ここで、私は夏目に声を掛けた。
それだけだ。

思いに沈みそうな心を一端封じるように、私は夏目に笑顔を向けた。
いや、向けようとして、その笑顔が途中で止まった。
夏目が、私を睨んでいたからだ。
「なんで……」
さっきまでただ驚いていただけの夏目の瞳が怒りの色に染め上がる。
「え?」
夏目は拳を握りしめて、肩まで震わせている。何を、怒っているのだろうか夏目は。私にはわからない。
不愉快、という程度ではない。明らかに、全身で私を非難している。
「じゃあなんで、この桜の樹の、この人……、ヒトじゃないけど、なんでこれを、こんな酷い状態なのに放っておくんですか先生はっ!」
「は、い?」
「こんなに、苦しんでいるのに……」
「苦しんで……いる?」
そんなふうに夏目には見えるのだろうか?
「こんなに血を流しているんですよっ!先生には樹の下の血だまりが見えないんですかっ!こんなに……、こんなに血を流すなんて、痛くて苦しいはずですっ!おれが初めてこの学校に入試で来た時にはこんなことにはなってなかったっ!入学式の日にこんな惨状を見て……先生だって見える人ならわかっているんでしょう?放っておけば死んでしまうじゃないですかっ!でも、今なら助けられるかもしれません。なら、おれは助けます。先生は……こんなひどいのを放っておけるんですかっ!」
そこに居るモノの様子を一言で言えば惨殺死体。
無残で悲惨な死体、だ。
頭部はぱっくりと割れて、そこから流れ出した血が顔も着物も真っ赤に染めている。
腕も付け根のあたりから切られでもしたのだろうか、皮一枚を残してぶらんとぶら下がっているような状態だ。
普通の人間なら死んでいる。というかここまで見事な惨殺死体は現実にお目にかかることなどない。せいぜいホラー映画の中とかまあその手の類のドラマとか、そういう感じだろう。見ていてあまり気持ちの良いものではないので細かい描写は以下省略。正直、今からでも眼鏡でも掛けて、無視したいところだ。
だけど。
「放っておきなさい。君には無関係のものだろう」
つき離すように言う。
けれど、夏目は引かなかった。
「おれは、こんなの……放っておけません」
「どうして?放っておいても実害はないよ。これは人間には危害を加えない」
「そういうことじゃないです。おれは、確かに普通は見ることのできないおかしなものを……妖を、見ます。それを煩わしいと思ったことも正直あります。命の危険を感じたことだって……」
「それがわかっているなら尚更だよ。放っておきなさい」
「だけど、彼らに助けてもらったことだってあるんです。何度も何度も……。今のおれにとっては普通の人間も妖も区別なんてつけられません。苦しんでいるのなら助けてやりたい」
「いやそう言ってもだね」
困ったな。こんなモノ見て見ぬふりをしておけばいいのにと思うと自然とため息が出てしまう。
「これはね、生きている人間でも死体でもないのだから、放っておいて構わないんだよ?」
「でも……。妖だって命があるでしょう。痛みだって感じるんですよっ!」
夏目が私を睨んでくる。薄情だ、と言わんばかりの非難げな瞳。
うーん仕方がない。
「痛みを感じる妖やら精霊やらはいるだろうけどね。あれは別に痛かったり辛かったりするわけじゃないんだからね?」
「え?」
「ほら、よく見なくてもすごくめんどくさそうにふてくされる顔をしているだろう?」
「……え?」
「血を流しているから痛いのだろうと思うのは夏目の一方的な見方だよ。よく見なさい。あれは痛みなんか感じていない」
断言してやる。
どうもおどろおどろしくないのだ。
呪い、のような暗黒系の吸引力はない。どちらかと言えば厭世的。というより正直どうでもいい感じ、だ。
「痛いとか、辛いとかでぐったりしているんですよこの人っ!それにこんなに血が……」
夏目が目を剥いた。まあ確かに、ぼたぼたぼた……と血がから流れて地面にかなり大きな水たまりを作ってはいるが。
「ぐったり?そう見えるのかい夏目には」
「違いますか?」
「違う。面倒だから放っておいているだけだろう」
「でも……、そんなこと、おれには信じられません」
頑固、だな。この子は。一歩も引かない構えだこれは。
仕方がない。本当にやりたくはないが仕方がない。
「じゃあ……確かめてみる?」
「え……、どうやって……」
「あれに聞いてみればいいだろう?手っ取り早いよ。『苦しいですか?痛いですか?』ってね」
「……おれ、入学式のときからずっと話しかけています。返事なんかしてくれないですけど」
「まあ、そうだろうね」
普通の妖ではない。
この桜の樹にいるモノは神格が高い。人間の血なんて汚いもので汚されているのに穢れていない。正体はわからないけれど、それなりに力の強いモノだ。妖というよりも……精霊的なものなのだろう。もしかしたら神に近い存在かもしれない。
この手の類のモノは、実にありがたいことに本来は人間などには見向きはしない。あくまで本来は、だけれど。
「人間など、この手の類のモノにとっては虫けらに等しい。いくら声を掛けたところで下賤な人間に反応などはしないよ。夏目がいくら霊力を持っていようが……ね」
まあ、根気よく声をかけ続ければいつか気まぐれにちょっかいを出される可能性はあるんだけどね。だけどそれが良い方向に転ぶとは限らない。
彼らは気まぐれに、人間で遊ぶ。
ヒマつぶしで。
気が向いたから。
鬱陶しいから。
ふと興味をひかれたから。
理由などない。
小さな子供が、虫で遊ぶようなものだ。
蟻の巣を見つけてそこに水を入れてみたり。蝶を捕まえて羽根を毟ったり。
悪気なども無い。
綺麗な人間を捕まえて標本にするのが趣味だという妖に遭遇したこともある。昆虫採集をして標本にするのと同じだ。
美しい草花を取ってきて、それを押し花にして栞にしたり額に入れて飾るとのまったく同じだ。
悪気など、本当にないのだ。
けれど、そんなことをされた人間はたまったものではない。
この桜の樹の上にいるモノが、夏目にそんなようなことをする可能性だってあるのだ。
この手の類のモノたちは、本当に何を考えているかわからないのだ。
素直に夏目の好意を受け取ってくれるだけならいいが。それを逆手に取り、無理難題をつきつけられる可能性の方が高い。
この手の類のモノ達は確かに悪ではない。
けれど、人間とは価値基準が違うのだ。
「反応しないって言われても……ただ知らないフリをして見過ごすなんて出来ません……。おれは、おれの出来ることを探します……っ!」
親切を振りまくのは夏目のためにはならないと、夏目を説得するのも無理なのだろう。
けれど、きっと夏目は諦めない。
そうしていつか大きな怪我をするだろう。多分、昔の私のように。
何回目か既に数えるのも鬱陶しくなってきたため息を吐く。
「じゃあ、仕方がないね。……私が手を貸そう」
「え?」
「私の生徒を危険な目にあわせるわけにはいかないからね……」
言いながら、私は左腕の袖を捲った。つけていた時計を外す。普通の人間には見えないの黒いヤモリが現れる。
ごく稀に、夏目のように見える人間もいるので時計で隠しているのだ。
「さて、夏目は少し下がっていてくれないか。……危険、だからね?」
左腕を、桜の樹の上にいるモノにかざす。
「名取先生……その刺青みたいなのは……。痣、ですか?それ……」
痣というか刺青というかまあ……。
「普段は封印している私の力……と言った方がいいかな?正確には違うんだけれど……。ええと、護符のようなモノ、と言った方がいいのかな……?」
昔、これを手に入れるために命を落としかけた。まあ、これのためというか……的場のせいというか……。
よそう。
今は昔を思い出している場合ではない。
的場のことなど思いだすとは実に不吉だ。
私は気を取り直してヤモリの尻尾に当たる部分に右手の人差指と中指を添える。そしてマッチで火をつける時のような動作で尻尾の部分をすっと擦る。
「桜の、樹の、上にいるモノよ……。これが、わかるか……?」
かったるそうにしていたそれが、ゆっくりと私を見た。
『……おや、光貴酒の香りがするね……』
声ではなく、直接頭に響く音。
反応した、と私は身構える。
「わかりますか?貴方には……」
『もちろんだとも。それを欲しないものはいない』
だから、関わりたくないのだ本当に。
けれど、仕方がない。
「無条件で差し上げるわけにはいかないんですけどね……。話が、ありますので、しばらくお付き合い願いたく存じます」

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