小説・2

BL二次創作&創作。18歳未満の方はお戻りください。無断転載厳禁です。

最初は一匹だけ這いまわっていたその虫は二匹、四匹、八匹と分裂を繰り返し、増殖していった。
「ま、的場……っ!」
助けてくれ、と叫びそうになったが私の体の中にそんな虫を入れたのは的場なのだ。
「分裂と増殖が終わるまではちょっと痛いのですが……、そう長いことではありませんから」
血管がぼこぼこと、皮膚を突き破りそうなほどに踊っていた。
キモチワルイキモチワルイ気持ち悪い。
叫び続けた時間は確かに実際には的場の言うとおり長いものではなかったのだろう。客観的には、だが。……私の主観では、永劫とも言えるほどに長かったのだ。そう、少なくとも的場に対する憧憬などは木っ端みじんに吹き飛んだほどには長く、そして人間の皮を被った悪魔だと正しい認識を持つ程度の時間は確実にあったのだ。
そうして、唐突に痛みはなくなった。
痛みはなくなったが身体にまるで力が入らなかった。恐る恐る見た私の左腕も元の通り何の違和感も感じられなかった。
今の出来事は夢かと思ったが、心臓の鼓動はばくばくと煩いほどだった。
増殖していた虫が、私の腕の中に溶けたのだ、と根拠もなくそう思い、血の気が引いた。
懸命に落ちつけと自分自身に言い聞かせながら的場を見た。
「何を……したんだ……?」
「虫を、腕に入ただけですよ」
「なんでそんなことを……」
「光貴虫はね、霊力を持つ人間の左腕に生息すればそれはそれは甘美な酒になるんです」
「さ、け……?」
「ええ。妖や精霊や鬼や悪魔というモノ達の大好物です。上手く醸造されたものであれば下級の神でさえ欲しますね。それらをおびき出すのにも、捕まえて私の使い魔にする時にも役に立つものです。まあ、猫に対するマタタビのようなものになると思っていただければ間違いはないですね」
「それって……この腕を……エサにするっていうこと……なのか?」
「名取は理解力が高くて助かります。ですが、すぐには使えません。名取の腕の中身が酒に変わるまで…まあ、多分三年くらいかかりますかねえ。出来あがるのが実に楽しみです」
あくまで、涼しげな笑顔の的場を信じられない思いで私は見上げた。
身体に力が入らなければきっと殴りつけていただろう。けれど、罵る言葉を発する力さえなかったのだ。
「ああ……そうだ」
何かを思いついたように的場が私の腕を取った。
「醸造途中で小者の鬼などに持っていかれるのはしゃくですから。妖達には見つからないように封をしておきましょう。封じたところで醸造には影響がないですからね……」
この上更に私に何かをするのかと思い、私は的場を睨みつけた。
そんな私に的場はくすりと笑ったのだ。
「封をしなければ貴方はこの腕ごと魔物に食われますよ?それでもいいのですか?」
的場にこれ以上何かされるくらいなら、いっそ死んでやろうかとヤケになった私に、告げてきたのが例の「死んだら死んだで私は構わないんですがね。名取の力は人間としてはそこそこ強いですから、死んでも魂は残ります。その魂を捕獲して私の使い魔にすることは容易いですからね。じゃ、ちょっと死んでおきましょうか?私が今ここで直接手を下しても構いませんよ。死体も残しませんから」という類のセリフだ。
生きても死んでも的場に支配されるのか私は……。
絶望した私に勝手に黒いヤモリを据え付けて、そうしてそのまましばらくの間放置された。
抵抗する気力すら失われ、茫然としている私を放っておいたのだ。
おかげで、というのか何なのか、考える時間は山ほどあった。
左腕も、何の違和感もないのが幸いしたのかもしれない。虫が這う感覚でもあるのならばきっと気が狂っていたに違いない。
とにかく、すぐさま死ぬよりも、生きて的場の支配から脱却する手段を模索しようとそう前向きに考える時間くらいはあった。もしかしたら的場の言う言葉など全て嘘かもしれないという希望も一瞬は抱いた。……まあ、ほんの一瞬であるが。
的場の言葉に嘘はない。
私の左腕に虫を入れたのも。
それを利用するつもりなのも。
もし私がそれを拒否し、私が死を選んだところで別段気にもしないことも。
的場の言葉全てに嘘は無いのだ。……本当の所を隠してはいるが。
それよりもしも私が死を選ぶのならば的場自身が手を下すということさえ全て的場の嘘偽りもない本心なのである。事実、実際に、「いっそ死んでやろうかっ!」と、私が的場に叫ぶたびに、的場は弓で、日本刀で、ナイフで、呪文で、ありとあらゆる方法で容赦なく私を殺しにかかった。
「私に殺されるのがいいですか?それとも妖に食い殺された方がいいですか?自害という手もありますよ?」と笑顔で告げてくる。脅しではない。私を殺すのもきっと娯楽の一部なのだろう……。
今なら的場に対抗もできるが、当時私はコドモだった。
力もない幼い私がどう的場に対抗できただろうか……。いや出来はしなかった。
まあこの手の話は枚挙にいとまがないのだが、それを全て述べれば話が逸れるのでいったん横に置いておこう。
結局、私は的場に逆らわずに黒ヤモリの護符とやらをされて……結果として妖から身を守る術を手に入れた。
私は魔物やら妖の類やらを見ることができる。
が、このヤモリの印がある限り、魔物たちは基本的には私が魔物たちに話しかけない限りはこの私の姿すら認識できないのだ。黒ヤモリの護符としての効果は確かに絶大だった。妖などに追いかけ回されることなど完璧に無くなった。あとは私が妖達を見えさえしなければ、私は普通の人間と何ら変わりがない。確かにこれは何が何でも欲しいものなのだが……。
的場につけられたもの、と思うと心の底から不快になるのである。しかし背に腹は代えられない。この黒ヤモリの護符は確かに私に必要なものなのだ……。
「まあ、ただではありませんけどね。ヤモリの護符の代価に、時々で構いませんから私の仕事の手伝いをお願いいたしますね」
死んでもやりたくはないが、手伝いをしなければ消すと脅された。
私は脅しに屈服する形で、的場との付き合いを継続した……。
この時に的場につけられたこの黒いヤモリの痣。これが、今までずっと私の身を守ってくれているのだ。口惜しいが。実に理不尽ではあるが。
そして、その黒ヤモリの代償として、的場の仕事とやらを手伝わされ……、挙句、何度も何度もこの光貴虫の件と大同小異な目に合わされたのだ。
何度も何度も。全ては的場のせいだ。元凶はアイツだ。
まあ、、しかし、だ。
とにかくヤモリが完全な状態であれば、妖の類は私に近寄りもしない。
完璧な安全を私は手に入れたのだ。
しかも、使い勝手も良かったりするのだ。
尻尾の部分を擦れば私の左腕から光貴酒の香りが漂う……らしい。私にその匂いはわからないのだが。尻尾は、消す分量にもよるが、大体一時間程度で元に戻る。尻尾が消えている間は本当に猫にマタタビ、妖に光貴酒状態だ。嗅ぎつけた妖たちがわんさと私の腕を目掛けてやってくる。
この状態に甘んじていたわけではない。
光貴虫を私の腕から取り出す手段はないのか。
ヤモリの痣以外の方法で私の身を守る手立てはないのか。
探しに探し、手を尽くしたが、何もわからないままだった。
ヤモリがあるのならば、無事だと割り切って的場と縁を切ればいいと思ったこともある。
だが、それも出来なかった。
的場を無視すれば「そういう態度をとるのでしたら、その腕のヤモリの護符は取ってしまいますよ?」とこれだ……。
「消すのなんて簡単です。名取が私の側にいなくても、たとえ外国辺りに逃げたとしても私がそれを消すのは一瞬ですよ。ああそれから……私にそれを消す気がなくても、私が死ねば自動的にそれも消えますからご注意くださいね」などと恐ろしいことも言う。
自動的に、消える。
そうすれば光貴酒の匂いに惹かれた妖たちに私は食われて死ぬということか……。
うっかり的場と離れることも出来なくなった。
それよりこの私が的場の生死にも気を配らなければならなくなったのだっ!なんという理不尽っ!
おかげで縁を切ることなく現在に至る。
現在に、至るのだ。
中学校を卒業し、高校を卒業し、学校の教師となった今でも年に二、三回程度、的場からの呼び出しを受ける。
「ちょっと名取の腕が必要なので、来てくれませんか?大物の妖を調伏しないといけないんです」
そんな感じだ……。
だが、的場も私が苦々しく思っているのを知っているので、そう理不尽な要求はしない。的場が本当に必要な時にだけ私の「腕」を文字通り借りにくる。
……人生とは理不尽なものだと近頃は達観しつつある。
私はただ平穏な人生が送りたいだけなのに。
まあ、だからこそ、この桜の樹の上のモノの相対するのに的場の手は借りたくなかったのだ。
自分でなんとかするしかない。
それに、夏目のような子が的場の目に止まったら。……昔の私のような目に遭わないとも限らない。


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