小説・2

BL二次創作&創作。18歳未満の方はお戻りください。無断転載厳禁です。
No.3「それは記憶と等価な恋で」その1


ホントはずっと思ってた。
もう一度オレのコト、好きになって。記憶なんてなくていいから。
……その答えは聞けないけれど。



空を見れば穏やかな晴天。雲ひとつなく晴れ渡っているこの空に、鳥が羽ばたき、去っていく。陽光は温かく、全てが希望に満ちているかのように感じられる。これから、もうまもなく。
ロイ・マスタング新大総統の就任演説が始まろうとしている。
この国を軍事国家ではなく平和な民主制に移行するために、ロイの野望だった大総統の地位は今、現実のものとなった。軍服に身を包み、肩からはコートをかけて。就任までの人生を振り返っているのかゆっくりと、一歩一歩階段を踏みしめながらロイは壇上に足を進める。童顔のためか、それともそのさわやかな笑顔のためかロイはかなり若く見える。実際一国のトップとしては格段の若さだ。そろそろ四十の声を聞くとしても、まだ彼は辛うじて三十代の域に留まっている。が、その実力は誰もが認めるところだった。『焔の錬金術師』と言えばイシュバールの英雄としての名声も、キング・ブラッドレイを倒しその背後にあった暗部を暴き、軍部を立て直したその行動力も知らぬ者などいない。ブラッドレイという軍トップを倒した後は、その地位に付けと望まれはした。が、さすがに何階級も特進するわけにはいかなかったのは、ロイがクーデターを起こしたわけではなく、依然軍部は軍部として機能していたためだった。そこでロイが希い、グラマンに軍事を掌握してもらった。自分が出世し、大総統の地位に上り詰めるまで、その座を暖めていて欲しいと。グラマンは老体に鞭打ってやろうとロイの申し出を快く承服してくれた。老体と言葉にしつつもその眼光は鋭いままであったが。そしてロイは一軍人としてだけではなく、他の方面からも国家の制度を軍事から民主へと変えるよう手を尽くしていった。例えば、議会と裁判所の権限を強化するための尽力。そして国家錬金術師制度の縮小。一部の特権としてみなすものではなく誰でも使える技術として利用できるように、錬金術を学べる大学も設置した。一般の仕事となんら変わることのない職業として選択ができるようにと錬金術ありようを変化させていく一環として。機械鎧と同じようなこの国特有の単なる技術にしていくために。
そんな経緯を経てようやくたどり着いた大総統の位。
誰もが待ち望んだ、ロイ・マスタング新大総統の誕生である。
その新大総統の後ろに控えているのがエドワード・エルリック。大総統付きの補佐官というより『鋼の錬金術師』との銘のほうがこの国では有名である。十二歳で国家錬金術師となったエドワードも今や二十四歳。外見だけは落ち着きのある青年に成長した。金色の長い髪を一つに束ねているすらりとした躯体には壮麗さも感じてしまうほどだが、未だ沸点は低い。感情が空回りするのも相変わらずで、そこが可愛いとロイは相好を崩す。彼が最年少国家錬金術師としてこの国中を旅して回ったのはもう昔話になってしまったが、その頃の活躍を国中の人間が御伽噺のように語り伝えている。実力と言えば折り紙付だ。錬金術のみならず政治・経済・軍部での働き。どれをとっても確かな手腕を見せた。ロイの右腕としても名を馳せ、国をも動かすまでになっている。国中の誰もが新たなる大総統に、そしてエドワードに期待を寄せていた。もはや平和は目前だと。数々の困難があろうともきっとこの二人はこの国を争いのない、平和な世界へと導いてくれるのであろうと。

そう、誰もが信じていたのだ。
晴れやかなこの空はそんな未来を象徴しているかのようだった。

視線を巡らしていれば既に青い軍服を着た軍人達が整列をし、新大総統の演説を今か今かと待ちわびている。が、そこはやはり軍人の集団だ。浮かれた雰囲気はまるでない。整然とその時を待っていた。期待に満ちた静寂を打ち破るように、突然どこからか「マスタング大総統、万歳」と叫ぶ声がした。喜びを隠しきれないとばかりに、若い一人の軍人が声をあげたのだ。周囲の者も、その軍規を乱すような行動を咎めはしなかった。本当は浮かれてしまいたかった。こんなふうに列を成したまま、ただ待っているのではなく。誰もが言ってしまいたかったのだ。マスタング新大総統万歳と。その歓声は次第に大きくなる。中央司令部の、この敷地のみならず敷地外までにその声が響いていることだろう。いや、軍の敷地には入れない一般市民の群集も、門の外から司令部を取り巻いている。門外の市民の声もきっと歓声の中には含まれているに違いない。辺りを揺るがすほど大きな喜びの声が沸きあがる。それは留まることを知らないようだ。その一つ一つに応えるようにロイはにこやかに手を振る。エドワードは「みんな、軍人のクセに。規律、なってねえぞ」と苦笑した。しかし喜びを表したいのはエドワードとて同じだった。揺ぎ無く壇上に立つロイを、その背をまぶしげに見上げる。ロイが、大総統になる。この国を平和へと導く。自分はなんて大きな男を好きになったのだろう。誇らしげに思うのはこんな時だ。鳥肌が立ち、心が震えるのは情欲に近いものがあるけれど、今、この瞬間に感じているのはこの男を好きでたまらないという恋情ではない。心にあるのは強い強い敬愛だ。身を引こうとしたときもあった。それがこの男のためだと。でも、それでもついてきた。今までの二人の道のりが脳裏を過ぎる。喜びも、悲しみもそこにはあって、その上に今の充足がある。一緒に歩いてきたのだ。ここまでの長い道のりを。そして、歩くのだ。長い長い平和への道のりをこれからも。
エドワードはロイの背を見つめる。男として部下として、ロイを支えてやれる実力を持っていることが嬉しい。ロイの右腕たる自分。それはエドワードの誇りだ。それから恋人としての喜びもその誇りと同じ位の重みでエドワードの心の中には在る。これほどの男と気持ちを交わせることが嬉しい。二人きりの私的な時間を過ごすときのロイの顔。国を背負うほどの男が自分だけに見せるくつろいだ顔。さまざまな表情が浮かんでは消える。それに満足している自分もとっくの昔に知っている。そのいくつもの種類の愛情の中で今この瞬間に強く突出しているのは敬意だ。きっといくつもの意味で自分はロイに傾倒している。心酔と言い換えてもいいかもしれない。

ああ、好きだな。オレはロイが。

本音を言えばさっさと二人きりになって、喜びを分かち合いたい。けれど、これは愛する男の檜舞台だ。ここからが、マスタング政権の幕開けなのだ。何一つ見逃したくない。この男の勇姿を。
エドワードは頭を一つ振ると、きっと背を伸ばした。自分は恋人の勇姿に見惚れている場合ではなかったのだ。まだ、国内も国外も安寧には程遠い。見惚れているのではなく、ロイの背中を守らなければならない。そのために、自分はここにいる。ロイの右腕として。
エドワードは思考を恋人のそれから右腕としてのものへと切り替えて、辺りをぐるりと見回した。

最前列には「マスタング組」の面々が既にそろっている。筆頭はリザ・ホークアイ。彼女も今や大総統付き補佐官だ。誇らしげに壇上に上がるロイを注視している。大佐に昇進したブレダ、フュリー大尉、ファルマン少佐。筋骨隆々としたアームストロング准将の姿も見える。一つ残念だったのはハボックとアルフォンスがいないことだ。彼らもこの日を何年も待ちわびていたのだ。が、ハボックはもう軍人ではない。表向きはウィンリィの機械鎧の店の手伝いだが本業は情報屋だ。セントラルのあらゆる情報に精通するようになってしまい、暗躍という暗さはないが色々とネットワークを張っている。軍内部だけでなく外部からでもいくらでも追いつく場所はあると、未だ少しその足を引きずりながらハボックは市井からロイを支えていった。すでに情報屋としての高い評価を得ている。どんな情報でも必ず探り当ててくると。アルフォンスは面白そうだし、国のためにも人のためにもなって、ついでにウィンリィと一緒にもいられるしねと、だからとハボックを手伝う、というよりもハボックを動かして、いまやあらゆる難しい交渉ごとのエキスパートになってしまった。ハボックの得てくる玉石混交の情報を整理し、且つ欲しい内容へと導いていく。その情報を元に交渉ごとを有利に進めていく。エドワードはついつい回想に沈み込みそうになる意識を再度引き締めなおして、もう一度これからの予定を確認した。
まずは軍部をロイが統括するということを示す。その為に今から就任演説を軍部のみにて行う。そうして次に演説を電波に乗せ国中に新体制を広める。国内は未だ情勢は安定していないのだ。民衆の前に立つのはリスクが大きい。ホムンクルスを倒すために国の安定をある程度保留にしたツケがまだ残っているのだ。国のシステムを正しく機能させるために、議会や裁判所といった政治の改革も行ってきているが、テロも数年前と比較にならないくらい起きている。軍部の力を縮小させるのと比較して治安は悪化した。目指すところは民主国家ではあるがそこまでの道のりは険しく、軍備と民主化のバランスも難しい。そのため、人前での就任演説は軍部内で執り行い、国に広めるのは報道のみにて。その予定だった。
壇上のロイがマイクへと手を伸ばす。
最初の第一声を聞き逃さないようにと、沸きあがった歓声はすぐさま静まりかえった。ゆっくりとロイは整列した軍人達に視線を向けた。エドワードも、群衆の視線もロイ一人に集中する。
「ロイ・マスタング、新大総統だ。これから君たちにはこの国を平和な民主国家にするために力をつくしてもらわねばならん。……文句は言わせん、ついて来い」
静かに、しかし力強く告げられた、第一声。
わあっと歓声が上がる。それを手で制して、続けようとロイが口を開けた。

まさにその時。

歓声にかき消されてしまっていたが、そのほんの微かな銃声が、どこかで鳴った。

その音を耳にしたものは少ないだろう。気がついた者は更に少ないはずだ。けれど、誰もがそれを目にした。

壇上の、ロイ・マスタング。
彼の胸が赤く染まるのを。溢れ出てくるその紅さが、血であることを。


ロイは胸を手で押さえ、そうして血に濡れた手を信じられないという思いでみつめた。目の前にかざしたロイの手から、ぽたりと紅い液体が滴り落ちた。
ぽたり、ぽたりと。
軍服の左の胸から、あふれ出し、青地のそれを黒に染める。
撃たれたのは胸――つまり、心臓だった。
歓声をあげていた者たちの声がぴたりと止んだ。整列したまま、そのまま、誰一人として動けなかった。石膏で固められたような軍人たちの前で、ロイだけがゆっくりと崩れ落ちていった。

何かを考えるより先にエドワードは動いた。
ロイの身体に手を伸ばす。
その、わずかな距離は数えてみれば十歩もないだろう。たったそれだけがエドワードには恐ろしく長く感じられた。地の表面が流砂のようで、上手く走ることが出来ない。それでも懸命に腕を伸ばして。力なく倒れ落ちるロイの身体。それがスローモーションのようで細部までがはっきり確認することができた。ロイの肩に掛けられていたコートがその持ち主の身体から離れて宙に舞う。左手で、胸を押さえながら前のめりに倒れ、壇上から落ちていくその姿も。エドワードはロイの身体に手を伸ばす。指先が触れ、崩れる身体を引き寄せる。
ドサリと音がした。力の抜けた男の体が重かった。それをエドワードは受け止めきれずに、尻餅をつく。乗りかかられたロイの身体から漂うのは奇妙に甘い香り――流れ出し、あふれかえった血の臭気だ。
抱きとめてみれば、ロイの胸だけでなく背からもその血は止まることなく流れ続けている。銃弾は胸から心臓へ、そして背中までも貫いていったのだ。その大量の出血にエドワードの掌も軍服も。あっという間に黒く染まる。エドワードはぐったりとした身体を地面に横たえた。顔を覗き込んで見れば、ロイの瞳は既に何も写してはいなかった。晴れ渡っているはずの空。それがどんよりと鈍く、瞳の中にあるのみで。
唇がわずかに動いた気がした。何かを告げようとしているのか、それとも単なる反射でしかないのだろうか。
逡巡の時間は一瞬もなかった。
エドワードは両腕をあわせる。パンという音が響き、錬成を可能にする。錬成陣を書かずとも、その構築式はエドワードの身体の中にある。

――手でも足でもくれてやるっ ロイ、死ぬな!

心を占めているのはただそれだけで。
エドワードとロイは青い錬成光に包まれる。
錬成反応のその光はその場所を眩むばかりの光に包んだ。風が沸き起こり、煙が、二人の姿を包み込む。
その煙が晴れても、錬成の光が消えても。
誰一人として動けなかった。

横たわるロイの姿と、側で手を付くエドワード。
その二人へと誰も駆け寄ることもできなかった。


晴れ渡る空も、照る太陽も。
その風景も先ほどから何一つ何も変わらないというのに。
ほんの少し前まで希望に満ちていたはずのこの場所は恐ろしいほどの静寂に包まれていた。



「問題ない、はずだ。もうすぐロイは起きる。……きっと、大丈夫なはず、なんだ」
「ええ、信じましょう」
自分の名が呼ばれたな、とロイはぼんやりと意識を取りもどした。身体が重く、瞼すら開けることが出来なかった。何も見ることは出来ないが、それでも耳に聞こえてくるのが知っているはずの者たちの声だとわかり、ロイは安心した。自身の状況はわからないが、それでも危険はないと判断することが出来た。
……鋼のの声に似ている。それから「信じましょう」と言ったのはホークアイ中尉か。何が大丈夫なのだろうか?瞼が鉛のようで開かない。声も出したいのに出せはしない。思考ははっきりしてきだしたのに、身体が動かないなと、ロイは仕方がなしに身動き出来ないまま、交わされる会話だけに意識を集中した。
「……閣下の容体は待つしかないとして。事態を引き起こしたヤツの身柄は?どうなってるんだ?」
ブレダの声に聞こえる。鋼のと中尉と。それだけではないな。ロイは気配を探る。まだ、幾人かいるはずだ。
「既に、自殺してますね。情報局に勤務していた者で階級は少尉。どの国とどんな関係にあったのか、証拠はすべて隠滅されていました」
これはヒュリーだ。ということは私の部下が全員ここにいるということか?ならば、この身に危険は及ばないとしても、早く身体を起こしたいものだのだが。
「手がかりはなし、か。……暗殺をもくろむとはやってくれるな」
暗殺?物騒な単語だ。ますます早く起き上がって状況を把握する必要がある。
「ともかく今後の対応を検討しなくては。……どうしたらよいのかしら……」
「アイツが起きなけりゃ話も進まねえ。だけど、予定通り執り行えるように準備だけはしねえと」
「出来ると思うか、エド?大総統のヤロウ、まだ、意識とりもどしてねえだろ?」
……何の話だ?大総統の容体?暗殺されたのはキング・ブラッドレイ大総統だとでもいうのだろうか?
ロイは耳を欹てる。上のポストが開けばそれだけ昇進のチャンスは生まれる。ならば悠長に寝ている場合ではない。ともかく起きて状況を確認せねばならん。そう思ってはいても、ロイの身体は動きはしなかった。
重い。
身体の上にかけられているのは毛布くらいなものだろうに、それが鉛のように感じられて身じろぎも出来ない。それでも、意志の力を総動員して、ロイは起き上がろうと試みた。
「そうですね。……眼がさめるのでしょうか」
「起きなけりゃ、殴ってでも起こすよ。大丈夫だ、錬成は成功したはずなんだ。心臓、再生して、ちゃんと動いてるって。輸血も間に合ったはずだ」
……錬成?心臓を再生とは生体錬成なのか?そんなことが出来る錬金術師などいるのだろうか。エド、という名も聞こえた。もしや彼なら、鋼のならばそんな錬成も可能なのだろうか。ともかく起きねば。
なんとか身体を動かそうとロイは拳を作り、ぐっとそれを握り締めた。
「そうね。お医者様も後は眼が覚めるのを待つだけだって。……ともかく皆、準備を、」
ホークアイが言いかけた時、「うっ」とロイは小さく唸った。拳に力を込めたことによって、全身に痛みが走ったのだ。
「「閣下!」」
ホークアイとブレダがいち早く叫んだ。
エドワードも弾かれたようにロイのベッドへと駆け寄る。
「大丈夫、だな、ロイ。起きられるか?」
枕の側に手をついて、エドワードはロイの顔を覗き込んだ。
ゆっくりとロイの眼が開けられる。
ロイはほんの少し眩しげに目を細めてから、辺りを見回した。
声の通りにホークアイの姿も、ブレダの顔も確認できた。が、エドワードの姿に違和感を覚
えた。じっと痛いほどの視線でロイを覗き込んでいるエドワード。そのエドワードの軍服姿。
それにも増して、その顔は。
何故鋼のが軍服などを着ているのか。髪もいつもの三つ編みではない。高い位置で一つに纏められている。何よりも、鋼のはまだ十六にも満たない少年であったはず。なのに、どう見ても目の前にいるのは青年だ。大人びた様子に違和感を隠せない。
……鋼のには兄などいなかったはずだ。
が、あまりにも彼に似ている。というよりもこれは成長した鋼のの姿のようではないか。
「……鋼の」
鋼のなのかい?と続けようとした。君は鋼の錬金術師本人なのかと。


その姿は自分が見知っている小さな少年には見えなかった。
が、声はそこで途切れた。咽喉がざらついてうまく声を出すことが出来なかった。その上身体も相変わらずに重たくて。
「ああ、ロイ。オレだ、エドワードだよ。……動けるな?」
やはり違和感は拭えなかったが、ロイは頷いた。エドワードと言う名は鋼の以外には知り合いにはいない。だから、そうは見えなくてもこれは鋼のなのだろうと、ロイは無理やり自身を納得させた。いつの間にこんなに大人びたのだろうか。それに、そう、彼はロイを『大佐』ではなく名で呼んだ。
……ロイ、などと私の名を呼ぶとは偉くなったものだな、鋼の。
そう告げようと再度目を上げた瞬間、ロイはエドワードに視線を奪われた。

ロイが頷いた瞬間、艶やかな花のような笑顔をエドワードが浮かべたのだ。手の甲で、涙を拭う仕草をして。それから跳ねた金の髪に光が反射した。まるで鮮麗な映画のようだった。ロイは手を伸ばして触れてみたいという衝動に駆られた。
……私は何を考えているのだ。これは、そうは見えなくとも鋼の錬金術師、なのだろう?
その突然沸いて出たかのような不埒な思考を払拭するために、
「ここは、どこだ?」
ようやくまともに発することが出来るようになったその声で、ロイは尋ねた。
「ああ、病院だ。アンタは撃たれて倒れて。でも、もう大丈夫だな。ロイは生きてる」
エドワードから鮮烈さは消えたが、今度は穏やかな、そう例えるのならば春の日差しのような暖かい笑顔が零れたのだ。
ロイは眉をひそめた。
……本当にこれは鋼のか?
これほど無防備な笑みを鋼のから向けられたことは未だ嘗てなかった。いつも苦虫を潰したような顔か、不敵な笑みのみだけを向けられていて。ロイは状況を確認することも忘れ、エドワードに視線を向けたまま、何も言えないままでいた。エドワードの顔に浮かんでいるのは何も警戒などしていない、ただ嬉しさをストレートに表現した顔。そこには打算も何もない。飾ることなどない心を許したものだけにみせるそんな微笑みだけだった。他には読み取れるものなどなかった。そう、このような顔を見たことはあった。彼が弟に見せる笑み。確かに弟になら見せるのだろう。けれど自分には向けれらたことなどなかったそれ。
ロイのその考えは部下の言葉によって中断された。
「よかった。安心しました。……これで予定通りですね」
ホークアイもほっと息をつけば、ブレダもその太鼓腹を揺すって、
「あー、これで就任演説流せるな。フュリー、放送機材この病室に持ってきてくれ。閣下の身体はなるべく休ませたほうがいいだろうからここから演説しちまおう」
と指示を出す。
「はい。早急に準備に取り掛かります」
フュリーはロイに向けて敬礼すると病室を飛び出していった。
皆の間に安心感が広がっていた。
ロイが大丈夫なら、やることは決まっている。軍部内での就任演説にはケチがついたが、ラジオ報道さえ出来ればマスタング新政権は滞りなく進行していると国の内外に示すことが可能だ。ホークアイもエドワードも忙しく立ち動こうとした。状況がわからないままで、余計な考えに捕らわれている場合ではないと、ロイはまずは状況の確認を部下に求めた。
「就任演説とはなんだ?大総統がどうかされたのか?」
そのロイの声に、病室にいた誰もがその動きを止めた。
「ロイ?」
恐る恐る、エドワードがロイを振り返る。
「アンタ、自分のことわかる?覚えている?」
もしかしたら撃たれたショックで記憶が混乱しているのか、とエドワードは再びロイを覗き込んだ。
「失敬な。ロイ・マスタングだろう、私は」
「うん。ロイだな。……なあ、自分の階級言える?」
「東方司令部所属、ロイ・マスタング大佐だが?」
何をいまさら、と不機嫌な顔つきでロイは自分の所属と階級を告げた。


続く
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