小説・2

BL二次創作&創作。18歳未満の方はお戻りください。無断転載厳禁です。
No.3-6「それは記憶と等価な恋で」その6


聞いたところで実感は無い。しかし、その事実に安堵したのは確かだ。敵を自身の手で撃ったのなら、それでいい。そのエンヴィーと言うのが何者で、どんなふうに倒したのかなどもっと詳しく聞きたくはある。それでも、これ以上話せと迫り、エドワードにこれ以上追い討ちをかけるのは自身の欲するところではないとも思う。それに実感が無いからこその敵は討ったと言われても、不服に思う感情は歴然として横たわる。だから、もうこの話はこれで終了だと。そう思い切るべきだと理性で判断した。
今は、いい。やることが山のようにある。自身の記憶がないことで状況も切迫しているのだろう。ならば、詳細を聞くのは状況が落ち着いてからでいい。自分で敵をとったというのなら、それでいいと今は納得してやる。
エドワードはロイのそんな様子から目をそむけるしかできずにいた。
……嫉妬するわけじゃねぇけど。してもしょうがねぇけど。ロイの、今のロイの一番大事な人はやっぱりヒューズさんなんだな。……オレじゃねえんだ。
駄目押しを食らったようでエドワードはざわつく心を抑えることが出来なくなりそうだった。力が抜けた身体を誤魔化すように、すとんとイスに腰を掛ける。下を向けば涙があふれそうで、それを堪えるために、ぎゅっと軍服のズボンを握った。すまない、と言ってロイも自分の席に戻る。エドワードはひたすら涙を堪える。歯を食いしばり、呼吸を整えて。
悲嘆に暮れている場合ではないのだ。自分はロイの手助けをする。もう残されているのは部下としてロイを支えてやることしか出来ないのか。それしか自分がロイの側にいる存在理由にしかならないのか。胸がぎりぎりと締め付けられる。幾重にも締め付けられる。エドワードは感情を押し殺して議題の再開を告げた。
「……じゃあ、シンを探るための斥候についてに話を戻すけど……」
ロイの側にいる、自分自身の価値はもうきっと軍務だけしか残されていない。ならばその仕事が出来なくなれば。ロイが別の誰かを好きにならずとも、自分がロイの側にいられるのは仕事をしている間だけなのではないか。
……仕事、しなきゃな。
張り裂けそうな胸の痛みを抱えて、だた、シンにもぐり込ませる人員の選出、その手段ルートの確認などを矢継ぎ早に提案していった。明らかに軍人と思われる人間を送るのは危険かもしれない。だから、といって民間人では対応が遅れる。腕が立ち、判断力もあって、その上ロス少尉やリンたちに面識があるものなら話は早い妥当と言う結論に達したのはすぐだった。引き受けてもらえるのならアルフォンスやハボックを行かせるのがベストだと。アルフォンスは民間人であるがその腕は誰もが認めるところだ。ハボックは、未だ少し足を引きずることはある。が、情報屋として既に国中を回れるほどに回復して、軍部の外からロイを支えている。問題はないはずだった。危険は承知している。だけど、信頼できる人間をシンに送りこむことが出来る。そうすればシン国とマスタング政権が強固な結びつきをつけることができる。そのための動きもきっと最短でおこなえることだろう。

そうして内密に呼ばれたアルフォンスとハボックが大総統執務室にやってきたのは深夜と呼べる時間帯であった。

軍部の人間にも誰にも見つかることのないようにと暗闇にまぎれて、ロイやエドワード、ホークアイといった面々の待つここへ。
バタンと、ノックもなしに大総統執務室の扉開けられた。ロイが驚いてその音がした扉を見つめれば、そこには背の高い、短い金の髪の青年がいた。怒気もあらわにつかつかと、室内へと入ってくる。その開かれたままの扉をそっと閉めたのは、火のついていないタバコを口に咥えたハボックだった。彼も足を少しだけ引きずりながらゆっくりと、先に部屋に入って行った青年の後を追う。
ロイはその二人を見比べた。
一人はロイも良く見知っている部下、ジャン・ハボック。ロイも今は退役して情報屋のような活動をしていると報告を受けていた。しかし、ロイの記憶は大佐時点のままのため、私服で現れた部下、いや、元部下になにやら違和感を隠せない。それよりもわからないのはもう一人の青年だ。誰かに似ているような、自身で知っているような気はするのだが、この青年は誰なのだろうかとロイは記憶を探った。誰なのかはわからない。わからないがその射るような視線から、嫌われているのであろうことがわかる。記憶には無いが、この青年に私が恨まれるようなことをしていたのだろうか。まるで親の敵にでも会ったかのような強い視線でこの青年は自分を見ている。いや、睨みつけている。
青年がロイの目の前に立ち、止まった。
「嘘つき」
開口一番にその青年は、ロイにその一言だけを告げた。

どう考えても好意的な人間関係とは思えない。が、わからなかった。なくした記憶の中で知り合った人間なのだろうか。いや、今夜呼び出したのはハボックと、そしてアルフォンスのはず。アルフォンスなら鎧の大男の姿をしているはずだと、ロイはその可能性を否定した。そして仕方なくロイはその青年に素直に告げた。
「すまないが、わからないのだよ。君は誰なのだろうか?嘘つきとは私のことかね?」
ロイの言葉にますます険しくなるその視線。エドワードとハボックが口を開きかけたのを制して、その青年はきっぱりと告げた。
「アルフォンス・エルリックですよ。貴方は覚えていないでしょうけれど」
記憶にあるのは鎧の姿をしていて、いつも兄をフォローしていた様子だ。こんな眼でみられたことはなかった。
「アル……フォンス?そうか、鋼のの身体が戻っているのだから君ももう鎧ではないのだな」
感慨深げに喜びをほのめかすロイに、アルフォンスはもう耐えられない、言いたいことはすべて言ってやるとばかりに大声をあげた。
「大事にするって、泣かせることなんかしないって、言ったじゃないですか!なのに、なのにっ!」
アルフォンスはロイの胸倉を掴み、拳を振り上げる。ロイはアルフォンスの手を止めるべきなのかそれとも甘んじて殴られるべきなのか、咄嗟の判断に迷った。いや、むしろ殴られたほうがいいのかもしれないと、そう思った。自分を責めもしないエドワードの代わりにアルフォンスが怒りをぶつけてきているようにも感じられて。けれど本来ロイに憤りをぶつけるべきエドワードは、怒りもせずロイを気遣うだけで。
「……やめろ、アル。 ロイは悪くねえんだ」
アルフォンスの振り上げた腕を掴む。その腕と静か過ぎる声音にアルフォンスはますます怒りを増した。
「こんな人、兄さんが庇うことないよ。もう、兄さんが軍にいる意味もないだろう?リゼンブールでもどこでもいい、此処からどこかに行こう。ウィンリーだって反対なんかしないから」
「おい、アル!俺たちはシンへの斥候として呼ばれたんだろう」
落ち着けと、ハボックがアルフォンスを制した。
「だってこの人忘れてるんだろう、なら意味無いんだよ。ボクも兄さんもこんな人に関わる必要なんてない」
執務室の誰もが、アルフォンスを、その言葉を咎めることが出来ずにいた。アルフォンスが心の底からエドワードを大事に思っているそのことを知っていた。だから、ホークアイもブレダも。ロイすらもアルフォンスにかける言葉が見つからなかった。ただ、エドワードだけがアルフォンスの激昂した感情に巻き込まれることなく、その口を開いた。
「ごめんな、アルフォンス。オレは此処にいる。どこにも行かないし、軍務を放り投げるようなことはしねえよ」
「なんでだよ、兄さん!」
「ロイが悪いんじゃないんだ。 多分、オレが失敗、したんだ。 ……いや、他に等価交換できるものが無かったのかもしれない」
「……どういうこと?」
等価交換という言葉にアルフォンスは振り上げた拳を下ろした。エドワードも握り締めていたアルフォンスの腕を放してやった。
「あの時、心臓を撃ち抜かれた瞬間に、ロイの心臓を錬成した。……アルの魂を鎧に定着させた時は腕、持ってかれたのに、今のオレは五体満足だ。何も失っちゃいねえんだ。 何と等価交換して錬成できたんだと思うか?」
「まさか兄さん。引き替えに持っていかれたのが記憶だなんて言うつもりなの? 」
アルフォンスの瞳が怒りの感情に駆られたそれから、錬金術師としての冷静な判断力を持つものへと変化する。生体錬成、いや自分達が人体錬成を試みた時のあまりにも重かったその代償は。
「確証はねえよ、単に身体に受けた衝撃でなのかもしれない。だけどありえる話だろう。だからロイのせいじゃないんだ、きっとオレのせいで、オレが失敗したからロイは、」
エドワードは一度口を閉ざした。
続きの言葉が何であるのか見当も付かずに、アルフォンスも、皆も誰もが口を閉ざしたままでいた。感情を含めることなく真っ直ぐにアルフォンスを見て、再びエドワードは口を開いた。
「神様ってのは禁忌を犯した人間を嫌うんだよな、きっと。 これは罰、なんだよ。命の次に一番大切なもの、持っていかれたんだ。だからロイがオレのことを忘れたんじゃねえのかってオレは思ってる。……だけどオレは軍にいる。ロイの側でロイを手伝う」
「なんで?兄さん、そんなにこの人のことが」
「アル。オレはお前の身体は取り戻せた。元通りに。だけど、ロイの記憶は取り戻してやれない。きっとこのままだと思う。賢者の石無しで錬成してみて、記憶は戻ったけど、ロイの身体の一部でも持っていかれたら、と思うとな、それも試せないし、賢者の石作ることも出来ねえだろ?それにこのままでも支障はないんだ。大総統くらい、大佐の記憶だけでもきっとできる。 オレがロイにできる償いは、片腕として支えてやれることだけなんだ。もう、これしか出来ること、ねえんだ。だから」
「それじゃ兄さんが辛いだけだろ。また、前みたいに、ボクの時みたいに、兄さんが全てを背負うなんてボクはもう嫌だよ」
「ごめんな。でも、オレの好きにさせてくれないか? もう他にすることないからさ。……それに、これも長い間じゃないんだ、きっと。ロイが大総統としてやっていけるようになって、そうして、情勢も安定したら、きっと」
「そうしたら、軍、辞める?」
エドワードは首を縦に振った。
アルフォンスは自分の申し出に兄が同意してくれたことに喜んで、表情を明るく転じていった。
その縦にふられたエドワードの頭に、執務室にいる誰もが目を見開いた。
ハボックも、ホークアイも。言葉こそ発しないが驚いた顔を隠せない。軍を辞めるというよりも、エドワードがロイの側にいる事をやめるというそれを信じることが出来なかった。しかし何故と口を挟むことも出来なかった。エドワードの表情があまりにも静かで。いや、何かを独りで決めて、もう覚悟したとばかりのその顔に。
エドワードはアルフォンスを見上げていたその視線を今度はロイへと移す。
覚悟なんかはもう決めてある。けれど、本当は決意してもしきれない。これから告げなければいけないその言葉を本当に口に出してしまえば、それは現実になりかねない。
――いや、オレは、それを言葉に出すことで自分の退路を絶つつもりだ。
理性でわかっていることと、それを現実にすること。その両者の間には本当はとても長い隔たりがあることをエドワードは既に知っていた。何度決意しても、嫌だと叫ぶ心を押さえつけなければどうしようもなくなりそうで。だから自分から退路を絶つ。
本当のオレの願いは多分叶わないだろうから。きっとロイはオレのこと、恋人としては好きになれないだろう。部下として大事にはしてもらえるなら片腕として側に居ることはできる。けれど、それでは足りない。以前には戻れない。ならばさっさと心を決めてしまわなければ。全てをあきらめて、だけど、せめて少しの間だけでも、オレが本当に決意を固めるまでくらいだけでもロイの側に、居られるように。胸は痛いけど。けれど、叶わないのなら、早くあきらめろ。言葉に出して、現実にしてしまえ。こんな気持ちをを抱えたままではロイの手助けすら出来なくなる。だから、早く心を決めて。自分は今、首を縦に振った。軍を辞める予定だと。そしてその理由をこれから口にしようとしているのだ。
言いたくはない。でも、身を引くと決意したのは他でもない自分だった。
ゆっくりとエドワードは目を伏せ、そして、告げた。
「今のロイは大佐だ。そん時までの記憶しかない。だからきっと……いつかオンナノヒトと付き合うだろう?そうなったらさすがに側にはいられない。だけどそれまでは、オレはロイの傍にいたいんだ」
言いたくもない言葉を綴っている。そんなことはエドワードの表情から、読み取ることができた。ロイもアルフォンスも。
「なあ、アンタに誰か好きなヒトできたら、ちゃんとオレは消えるから。安心していいよ。それしか、オレがアンタにしてやれること、もうない。だから、それまで。もうちょっとだけ、オレをロイの側にいさせてくれな」
「兄さん……」
アルフォンスは目を見開いて自分の兄を見た。兄は全てを自分の責任だと引き受けるつもりなのだ。アルフォンスは兄とロイを離れさせるべきかどうかの判断に迷った。記憶が戻らないならさっさと別れてしまえ。兄を傷つける者の側になんておくべきではない。そもそも、兄がロイを好きだと気がついた時から心に決めていたのだ。
兄を泣かせるようなことがあれば容赦はしないと。
だが、この状況では。
交渉ごとのエキスパートだという自分の評判もこと兄に関してはその才を発揮することは出来なかった。
……どうすればいい?どうすれば兄さんが傷つかずにすむ?無理やりにでも引き離して傷が癒えるまでボクが守ればいい?
アルフォンスにも結論はつかなかった。
エドワードは一瞬儚げに笑った。全てを諦めている。だから、これ以上もう何も望まない。エドワードの顔がそう告げている。ロイは何も言わない、いや、言えなかった。
……記憶をなくした自分がエドワードを傷つけてしまっている。
しかし、どうすることも出来なかった。記憶を取りもどす。そんなことは自身の努力でどうなるものではない。アルフォンスだけでなく、この場にいる全員が躊躇していた。誰も何も言い出せずに。その空気を換えるようにエドワードは切り出した。
「……悪いけど、プライベートな話してる暇も無いんだ。ごめんな二人とも。オレの代わりにシンの国へ行って欲しい。リンのほうから連絡は無いけど、もし、皇帝でなくてもリンがあの国で高い地位につけば、友好条約でも結べるだろ?四面楚歌でどの国からも戦争吹っかけられそうな事態は速く収拾しちまいたい。もし、シンとだけでも強い繋がりが持てれば、それはロイの政権にとっての好転のきっかけになる。民主化するのだって繋がりの強い国の一つでもあればやりやすいだろう?軍解体するにしたって、いつ内戦が起こるかわかんねええウチの国の状況じゃ、それも出来ねえし。……だから、まず探って欲しい、シンが今どういう状況なのか。可能であればロス少尉にも向こう側から手伝ってもらいたいし、ロイの暗殺未遂もある。だからめったな人間には頼めない。ハボックさん、それからアルフォンス。色々言いたいことはあると思うけど、できれば行って欲しい」
頼むと、エドワードは二人に頭を下げた。
危険な任務になるかもしれないのだ。だけど、軍人を行かせるよりはいいだろう。ロイの暗殺未遂があるのだ。腹心以外の軍人を送りこめば、その人物がロイの暗殺をもくろむ者たちと繋がりを持っているかもしれない。そんな危険な橋は渡れない。その上リンやランファンといったシンの国の人間やロス少尉と面識もある。何より二人の実力は知っている。もともとハボックはロイの部下だ。軍を辞めた後だって、軍の外からロイを手助けするための一翼を担ってきた。ホークアイやブレダたちは今、記憶喪失のロイを、大総統として支えるだけで手一杯だ。信頼できる人間を送りたい。
「オレは、もともとそういうつもりだけどな、大将。大総統を支えるのがオレの仕事だ。けど、アル。お前は?」
「……この人の為なんかじゃないですよ。兄さんのためです。やります」
アルフォンスはロイを睨みつける。そうだ、この交渉の成功を引きかえに、ロイから兄を引き離す。いや、兄にこんな辛い顔をさせないようにしてみせる。そのための交渉材料。ならば引き受けて、成功させてみせる。アルフォンスは、詳しい状況の説明をしてください。と感情を奥底に隠し、引き受けた任務の詳細を求めて席に着いた。


「ロイ、ごめんな。アルフォンスが……」
アルフォンスたちを送り出し、大総統官邸に戻ったのは夜も更けて日付もとっくに変わったころだった。それでも未だ夜明けには遠い。それはまるでエドワード自身の未来のようだった。
夜明けにはまだ遠い。
今はまだ、夜が明けてはいない。
では、夜明けの後には何が待っているのだろう。そこにあるのは明るい朝の光なのだろうか。
それとも暗雲立ち込めた冷たい雨が降り続ける日々なのだろうか。
……雨、降り続けるだろうな。きっと、ロイから離れたその後もやむ事なんてない。
つい沈み込みそうになる心を無理やり追いやって、エドワードはロイに笑いかけた。
「いや。その……すまない、鋼の。私は君に負担をかけるばかりなのだな」
恋という感情はなくとも、ロイはエドワードに辛い気持ちなどもって欲しくはなかった。ここ数日間のエドワードの働きは「右腕」と称するだけのものがあった。着眼点は明瞭であるし、状況把握は誰よりも正確だった。その上感情的になることなどなく冷静にものごとを進めていく。エドワードの立案と以前からの部下の働きによって急速にロイの政権は形を成していった。軍務の上からのみ判断するのなら何も問題はない。ロイの記憶の喪失などまるでなかったように、全てが順調に進んでいっている。
ただ、気持ちだけを置き去りにしていたことが否めない。今はそれどころではないから、と。そしてエドワードの「ロイが信じてくれたのならそれだけでいい」との言葉。その言葉に安堵して、いや、その言葉を盾にしてお互いの感情を保留にしてきたことをロイは心の底から悔いた。
エドワードは全ての責任を自分で引き受けて、そうしてエドワードがいなくなっても大丈夫な状況を作り上げたら、去る、つもりでいたのだ。
だから身体を重ねた後、落胆して、何かをあきらめた顔つきをしたのか。
不思議だと感じたその顔の意味が今よくわかった。
やはり鋼のは、何も言わずに全てを背負おうとする。何一つ変わっていない。
頼れと、ロイはエドワードに告げたかった。しかし、エドワードに辛さを強いているのは自分自身の記憶の喪失で。だからすまないと、謝るに留めた。負担をかけるばかりですまないと。エドワードは首を横に振る。
「アンタは悪くねえよ。失敗したのはオレだ。……それよりさ、今日はもう遅いんだしさっさと寝ようぜ。オレ、もう今日は疲れちまった。アンタ、シャワー浴びる?オレ、もう面倒だから今日はこのまま寝るな。……おやすみ、ロイ」
エドワードはロイの返事も待たずにさっさと二階の寝室へと階段を駆け上がっていった。
ロイはその後姿を見上げるしかできなかった。
辛い顔などさせたくない。微笑んでいてほしい。その想いは言葉に出来ないままロイの胸の内に巣食い続けた。


エドワードは着替えてベッドに潜り込む。目を瞑っても眠りはなかなか訪れてくれない。疲れているとロイに告げたのは嘘ではない。身体も気持ちも疲れ切っているのがわかる。けれど夜はもはや安息ではない。忙しく次から次へと軍務をこなしているほうがマシだった。何かをしていれば頭はそちらに集中できる。忙しければ忙しいほどよけいなことを考えずにすむのだ。
けれど夜は。
シャワーを浴びて寝巻きに着替えたロイがベッドに入ってきたときも、シーツをかぶり寝たふりをする。
「おやすみ、鋼の」
そう小さく告げて、寝息を立てるロイに返事をすることも出来ない。
コチコチと時計の針の音が寝室に響く。
その音をエドワードは毎晩毎晩、繰り返し数える。ロイの寝息を感じてしまえば辛いから、耳は時計の音に集中させる。
コチコチコチ。
その音を一、ニ、三……と数え上げる。
だが、数えても数えても眠りは訪れてくれはしない。ただ、ゆっくりすぎる時間だけが意識される。
こんなことになる以前は夜が短かった。
ロイに触れられてしまえばあっという間に夜明けを迎えて。眠たい目を擦りながら軍部へ向かったけれど、それもどこか嬉しく感じてしまう自分がいて。
だけど今は眠れはしない。
ただ目を瞑り、身体を横たえて。
それでも、昼間の軍務の疲れからか、ほんの少しうとうとと意識を失うかのような浅い眠りが訪れる。眠りの中では過去が蘇る。ダブリスまでわざわざやってきて、誕生日プレゼントだと錬金術の本を手渡してくれたロイ。アルフォンスの婚約披露の時の華やかな笑顔。一緒に暮らすことを承諾した時の嬉しそうな声。抱え込むようにして眠ったお互いの身体の熱さ。
眠ればそれを夢に見る。
過去の思い出がまるで現実のように沸いてでてくる。
眠れずに、時計の音だけを数える夜も。浅い眠りに夢を見てしまうことも、もうどちらもしたくはなかった。
……もう、見たくない。幸せだった頃の幻影は。今のこの現実との違いがありすぎて。眠るのも、起きるのもどちらも辛くて。
さっさとあきらめろと、自分言い聞かせてはみても、やはりあきらめは付かなくて。絶ったつもりの退路も、どこかにまだ他の道はないものかとつい探してしまって。エドワードはベッドからそっと起き上がると、階下ヘと向かった。眠れなければ本でも読んでいればいい。その間は気がまぎれるはずだ。自分は本を読み出したらいつも誰かに名を呼ばれても気がつかないくらいの集中力をみせたじゃないか。
だが、今夜は。いや、今夜も。ページを捲っても捲ってもその内容は頭に入っては来ない。ただ本を読んでいるフリをしているだけだとわかっていても、やめることは出来なかった。時間が過ぎるのが遅い。恐ろしいほどゆっくりゆっくりとしか過ぎてくれはしない。
エドワードは時計を確認する。
あと、一時間もすれば、ロイが起きる。
起き出している自分を見れば咎められるだろう。夜は休めと。そろそろベッドに入って眠らなければ。それは眠るフリでしかないだろうけど。本当に寝てしまえばまた、夢を見てしまうのだろうけれども。
ただ、ロイに気が付かれないように。
それだけを思って、エドワードはそっとシーツに潜り込んで、ロイに背を向け、瞼を閉じた。




続く
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