小説・2

BL二次創作&創作。18歳未満の方はお戻りください。無断転載厳禁です。
No.3-7「それは記憶と等価な恋で」その7


ロイは。そんなエドワードに掛ける言葉が見つからず、ただ、寝室から去り、そして起床時刻の少し前に戻ってくるエドワードに対して、眠っているフリをするしかなかった。抱いてしまったことは後悔していない。むしろ次をと望む不埒な感情がロイの心のどこかにあった。けれど、激昂したアルフォンスの言葉がロイの胸にと突き刺さる。
――泣かせることなんかしないって、貴方がそう言ったんですよ!
今の私は、エドワードを泣かせているんだろう。約束など記憶にないと突っぱねることも出来ない。エドワードを泣かしたくはないのは記憶があった頃の自分だけではない。今のロイ自身がそうしたくはないのだから。けれど、どうすればエドワードを泣かさずにすむのかわからなかった。ただ、自分の片腕として働いて。思い出せとすがりつくことすらせずに、感情を押し殺したままのエドワードにどう接していいのかもわからない。だから、部下として扱い、軍務をこなして、全ての感情は保留のままで。
……アルフォンスに告げたとおりに、いつか私から身を引く。そういうつもりなのだろうか。
それを否定したがっている自分にロイは気が付いた。
鋼のが私の元から去る?
それを嫌だとは思う。
ならば、これは鋼のに対する執着なのか。部下として高い手腕を擁する彼を放したくないだけなのか。それとも、記憶をなくしてもやはり恋着しているのだろうか?
わからなかった。自分自身の心が。だから、どう接していいのかもわからない。
一線を画したまま、このまま平行線を辿るのはお互いに心理的な不安が大きい。そうわかっていてもロイには踏み出すきっかけを見つけることが出来なかった。
私自身が鋼のをどう思っているのか。それがわからない。部下としてしか見れない。だからあきらめてくれとさっさと伝えたほうが彼のためか?保留のままでは辛いのは自分よりも鋼のだ。自分の態度を明確にするべきだ。あやふやなままでは彼も身動きが取れないのだろう。手を取るなり放すなり、決めてやらねば酷いとわかってはいる。
しかしロイはどうするべきかと心を決めることが出来ないままだった。
手放したくはない。が、辛さを抱え続けさせるだけで、何一つ楽にさせてやれないのなら手放すほうが彼のためではないのか。彼に辛さを強いてでも手放したくなどないから私の側に止まれと、そんな利己的な考えでいいのだろうか?

二人はお互いに辛さと困惑を抱えたままで身動きが取れなくなっていった。

そうして軍務だけを着々とこなしていき、更に月日だけが流れ……それが起こったのはいつもの朝の会議だった。マスタング組の面々が各々の席について本日の業務の確認と、今後の方針についての打ち合わせに集中していた。ロイも既に大総統としての業務に慣れ、自ら指示を出すまでになっている。記憶は喪失してもそこはロイ・マスタング。改革すべきところと未だ保留にしておいたほうがいいところとをしっかり区別して、それでも内乱や他国との衝突が発生しないためにと議会をゆるゆると民主制に移行するための立案、他国と協議を持つための術の模索、軍備を縮小してもこの国が生き延びることが出来るようにするその手段の検討と、それらを形にするために、少しずつ前進していった。
エドワードはそんなロイの姿を見て自分がロイから離れる時期はそう遠いことではないと、何回目かの覚悟をしなおしていた。今は忙しく仕事だけをこなしている。でもいつかこの大総統の業務にも慣れて、プレイベートな時間も作ることが可能になる。
その時、ロイは。やっぱり以前の『大佐』の時のようにキレイな女性に声をかけ、そうして、デートに励むようになるんだろうな。
会議の最中だというのに、エドワードはぼんやりと考えに沈んだ。椅子の背もたれに寄りかかって、目は虚空だけを見つめていた。
「鋼の。ハボックからの暗号文だ、まず先に目を通してくれ」
ロイから差し出された目の前の封書にも気を止めずにいるエドワードに、ホークアイも首を傾げた。
「エドワード君、どうしたの?」
じっと顔を覗きこまれてもエドワードは身動き一つしなかった。
「鋼の、具合でも悪いのか?」
ようやくのことでエドワードは自分が呼ばれたことに気が付き、ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。
その瞬間、エドワードの視界は暗転した。何も見えない。ただ、背中が痛かった。


世界の全てが暗いままだった。
……ああ、オレ倒れたのか。
何も見えない世界で、エドワードはぼんやりとそれだけを思った。背中が床についたであろうその一瞬だけ息が止まった。きっと受身も取れずに真後ろへと倒れたに違いない。それ以外の感覚は麻痺しているようで、全てに薄ぼんやりとした霞がかかっていた。
「エドワード君っ」
「鋼の!」
……ああ、ロイの声だ。
暗い世界を切り裂くように、その響きがエドワードの身体に飛び込んだ。暗闇に沈んでいた自分を最初に引き上げてくれたのは幼少の時。錬成によって手足を失って車椅子の上でただ、無為に時だけを過ごしていた。今みたいに、世界は暗くて。もう道などないように感じられた。その自分に焔をつけた。胸倉を掴んで、道を示してくれたロイ。好きだと自覚したのはずっと後のことだったけど、あの最初の時からロイは特別だった。
……あの時みたいにもう一度、手を伸ばしてくれないかな。
その想いが通じたように、エドワードの身体がロイに引き寄せられた。エドワードは見えずとも、頬に触れた軍服の布地の感触でそれを感触で理解した。
ロイの腕の中だ。本当はここから離れたくなんかない。
「動かさないでください、閣下。頭を打っているかもしれません」
これはリザさんの声。オレもリザさんみたいに強かったはずなのに。今は駄目だ。心配かけてごめん。いつもいつもオレのことを大事に思ってくれているのに。本当は貴女に嫉妬していた。ずっと。ロイの側でロイの背を守ってきたリザさんに。これからもオレがロイの側から離れても、変わることなくロイを守り続けられる貴女がうらやましくて。妬んでも、いる。ごめんなさい。だけどもう少しだけだから、ここにいられるの。だから、許してくれよ。
ゆっくりとエドワードの視界がクリアになっていった。自分を覗き込んでいるホークアイの心配そうな顔が見えた。ブレダにファルマン、それからフュリーも皆ここにいて。
ロイがエドワードの腕と膝の下にそれぞれ手を入れて、そのまま横向きに抱きかかえようとしているのがわかった。ロイの軍服が目の前にあって、開けたばかりの目に沁みた。
「……ごめん、貧血かも」
エドワードが言葉を発したことに、皆、胸をなでおろした。ロイはそのままエドワードを抱き上げようと腕に力を込めた。
「ちょっ、ロイ……大丈夫だから」
「このまま医務室に運ぶ。……休みたまえ、鋼の。君は無理しすぎだ」
「大丈夫だって、ちょっと眩暈しただけで、今はもうなんともねぇ。ほら、議案も溜まってるんだし、さっさと片付けようぜ」
エドワードは、抵抗する。今、優しくされたら何を言い出すかわからない。だから必死になって明るい声をだした。気が付かれないように。オレは平気。大丈夫。なんともない。それを繰り返す。平気だから。大丈夫だからと。胸の内でも何度も何度も自らに言い聞かせるように繰り返す。
今優しく触れられたら弱音が飛び出してしまう。歯止めが聞かなくなる。それをしてはいけないというのに。
その心を隠すようにロイの腕を押しのけて、エドワードはゆっくりと立ち上がった。大丈夫だから心配するなと皆に態度で示してみた。けれど、ホークアイもロイに額に眉を曇らせたままだった。
「エドワード君、そんなに無理をしてはいけないわ。自分ひとりで何でも背負わないで頂戴。ここに私たち皆いることを忘れないで。少しは頼ってくれてもいいでしょう?」
エドワードはホークアイを見た。心配してくれている姉のような女性。いつもさりげなく自分に気を遣ってくれて。なのに自分は……。
「そうだぞ、小僧。お前一番年下だろう。たまには年長者たちに任せとけ」
ブレダも、がしがしとエドワードの頭を撫でる。ファルマンも、フュリーも心配げな顔で休めと告げてくる。
「でも……」
エドワードはそんな彼らの心配はわかってはいてもこの場所から離れたくなどなかった。仕事をするしかもう残されてはいないのだ。それだけが、今の自分とロイを繋ぐものだ。右腕として在るしか繋がれるものはないのだ。だから、倒れてもなんでもいいから今は側から離れたくはない。身体なんかどうなってもいい。だからロイの側にまだ、いさせて。
「鋼の。私は大丈夫だから。もう軍務の判断も私一人で出来ているだろう?……だから少しは休みなさい。このところまともに眠っていないだろう。これは大総統命令、だ」

そのロイの言葉は倒れた自分を休めるための言葉だと理性ではエドワードにもわかっていた。
けれど感情は。

一人でできる。だからもう大丈夫。……なら、オレはもう必要ない?

自分の身体を気づかって、休めと言っただけだと理性では理解した。
けれど、感情では。

もう側に居なくても、記憶がなくてもロイが一人でやっていけるのなら……もう、オレは側にいなくてもいいのか?

その自分の思考に、殴られたと思った。足元が真っ暗になってその穴に落ちていく。

オレはもういらない。ロイに、必要じゃなくなった。
とっくにしていたはずの離れる覚悟。そんなものは紙切れのように宙に舞い、吹かれて去ってしまった。パキン、と音を立てて、それまでエドワードの心を覆っていた何かが粉々に砕け散る。
顔を真っ青にしてがたがたとエドワードの身体は震えだして、無意識にロイの軍服を掴む。指先にも力が入り、そこも小刻みに震えていた。力を込めすぎたせいで指の関節か白く見えた。
「や、やだ。大丈夫だから。まだ、オレは平気。働ける」
嫌だと告げたのは、身体が震えたのはロイの側から離れるのは嫌だと言う意味で。けれど責任感の強さから、働くと告げたとその場の誰もが思い込んでいた。
「休めといっただろう、鋼の。こんなに震えているじゃないか。具合が悪いのだろう?」
「そうよ、ちゃんと休んでちょうだい。貴方にまで倒れられたら大変なのだから」
「オレ、平気だから、まだ、働けるから、だから、まだ離れない。もうちょっとだけでいいから。ホントに、覚悟決めるまででいいから。今すぐなんて無理、やだ、嫌だ……」
エドワードはそれこそ全霊を込めて、ロイを見上げた。嫌だ、離れないと。言い出すのを躊躇していた言葉が溢れて、止まらなくなる。
――何があってもこの手を離してやらねえ。
以前の自分がロイにも告げた、一生側にいると覚悟を決めた時に放った言葉がエドワードの心の中で響いていた。ロイ・マスタングの隣に立つのはエドワード・エルリックただ一人だと、誰にも認められるくらいの存在にさっさとなってやると。あの時は強い気持ちで。今はただ、離せない、離したくないとすがりつくための言葉に成り果ててしまった。この手を、離してはやれない。今は、まだ。あともう少しでいいから。
何かが砕けてひび割れた心。すがるしかなくなって、せき止めていたはずの気持ちがそこから溢れてくる。
「鋼の?君は何を……」
見ればエドワードの身体は震えを増して、瞳からは涙が溢れている。
「アンタの、手助けできなくなったら、オレはもう側にいられねぇ。……まだ、大丈夫だから。もう少しでいいから、側にいる」
エドワードはロイにしがみついた。
「鋼の……」
まだ、嫌だから、まだ側にいるから。もう少しだけでいいから。
涙で濡れた目で、それで強く見上げてくるエドワードに、ロイは眉を寄せた。
「だって、いられねぇ。もうアンタにいらないって言われたら、オレ、もうロイの側にいられない。今は、まだ無理。諦めなんかついてねえ。側にいるだけでいいから、もう少しでいいから、ホントに覚悟決めるまででいいからっ」
「いてくれないと困るのは私なのだが……鋼の、どうした?」
明らかに様子がおかしい。休めと告げた言葉がエドワードの中で別なものになったことだけはわかった。けれど、何をどう受け止めて、こんなに震えているのかわからなかった。しがみ付いたまま離れないエドワードの震える身体を抱きとめて、ロイは落ち着くようにとその髪を撫でてやった。幼子に対するように優しくその背も撫ぜて。
「だって、ロイは、今のロイはオレのこと好きなんかじゃねぇだろ?そんな気、持てやしねぇだろ?……だったら、軍務しかもうオレには残されていない。仕事してなきゃロイの側にいられない……」
撫でていたロイの手がぴたりと止まった。「アンタに誰か好きなヒトできたら、ちゃんとオレは消えるから。安心していいよ。だからもうちょっとだけ、オレをロイの側にいさせてな」確かにエドワードは穏やかにそう言ったはずだった。それなのに今エドワードは離れたくないと震えてしがみ付いてくる。
あれは、あの言葉は本心などではなくて――。
そうだ、諦めなどではない。本心であるはずがない。責任だけを感じて単なる強がりを言っていただけではないか。消える、などと言っても本当はそれを止めて欲しいのではないのか?責任をとるにはそうするしかないと自分の心を誤魔化していただけなのだろう。そうでなければこれほどまでに涙を流して嫌だなどとは言わないはずだ。
ロイは自分の間抜けさに舌打ちしたい気分だった。


何をやっているんだ、ロイ・マスタング。言葉が本心の全てを語っているとは限らない。そんなことすら気がつかないでいたとは。きちんと考えればよかっただけのことだったのに、なにがわからないだ。記憶がないから判断できない?困惑する?そんなもの、エドワードに甘えているだけだ。こんなにも小さく震えて、泣かせたのは他の誰のせいでもない、ロイ自身のせいだというのに。安心していい?身を引くから?五年も共に過ごしたその時間をそんなにあっさりと捨てられるくらいなら、もとから鋼のは自分の側になどいないだろう。何がっても一生側に居る覚悟でもなければ、軍人となり、右腕として立つだけではなく。十四も年の差がある男の恋人になどなるわけがない。指輪など受け取るはずもないだろう。この鋼の錬金術師が。
鋼の、本当は君はどうしたい?これほどに震え、泣くほどに心に秘めている思いをまだまだ隠し持っているのではないのか?もっと早く私がわかってやるべきだったのだ。鋼のは一人で耐えて、平気だと、いつか離れると穏やかな顔で微笑んで。そんな強がりはしてはいけない。君はいつもまっすぐに、その心そのままに駆け抜けていくべきだろう。私が君をこんなふうに泣かせてしまっていたというのに。
「鋼の、私は……」
「聞きたくねぇ!聞かなくてもオレは知ってるっ。いつかオレじゃない誰か、アンタが選ぶのなんか。けど、まだ側に居続けてやるんだからな!離れてなんかやんねえんだから……それまでは、そんだけは、許してくれよ……」
エドワードはロイの言葉を遮って、後はもう泣くだけで。
執務室にエドワードのすすり泣く声だけが響いていた。ロイもそのエドワードを強く腕の中に掻き抱く。
ロイは部下達に、すまないが出て行ってくれ、鋼のと二人で話し合わねばならないから、と目線だけで告げた。
一つ息を吐いて、ホークアイが代表して告げた。
「今日はお二人ともお休みになってくださって結構です。後は我々で。……それから閣下。これ以上泣かせたら射撃の的にさせていただきます」
前半は部下として。後半はホークアイの私的な感情をふまえてだろうとロイはありがたくホークアイの申し出に頷いた。わざとらしく銃を構えるホークアイにロイは感謝を込めて微笑んだ。視線を他の部下に回せば、皆ホークアイと同様に気持ちなのだろう、うんうんと頷いている。私はいい部下を持ったなとつい、よけいなことも考えてしまう。今気にするべきは部下ではなく鋼のだというのに。
腕の中のエドワードは止まらなくなったのか、声をあげて泣いている。きっと抑えていた分、感情が爆発してしまったのだろう。まわりももう見えていないに違いない。ロイはそのエドワードをただ強く抱きしめ続けた。

これまでエドワードはこんなふうにすがり付いてくることなどなかった。ロイを責めることもせず、ほとんど眠りもしないで。ただ辛そうにしているだけで。初めて君は私に本音を告げてくれたのではないか?身を引くなど、冷静に告げていてもそれは本心ではなく、私のことを考えて。いや、恋情を持てなかった私から去るつもりで。本当は今のように離れたくはないとずっと泣きたかったのではないのだろうか?それとももっと別の強い感情すら秘めたままなのだろうか?私はそれに気がつかないフリをしていた。眠れないエドワードを知ってはいても掛ける言葉か見つからなくてただ、幾夜もやり過ごして。
こんなふうに追いつめたくはなかった。
守りたかったはずなのに、私が君を苦しめている。
どうすればいいのだろうかなどと逡巡している暇はない。そんな悠長なことをしている場合ではない。今すぐ、鋼のに手を差し伸べる。それが必要だ。それが出来なければ彼はきっと更に無理をして、そうして壊れてしまうだろう。
迷っている場合ではない。手を伸ばせ、今すぐに。
「……泣かせはしない」
泣きじゃくっていたエドワードは疲れたのか、それともずっとまともに眠りもしなかったためなのか。すでにロイの腕の中で首を傾け、目を閉じていた。どうやら眠ってしまったようだ。
「すまないが、後を頼む。ありがたく鋼のをつれて帰らせてもらうよ。……休ませてやらないとな。すぐ無茶をするから」
「ええ、そうしてください」
「ああ、ホークアイ中尉。……いや、今はもう中尉ではないか。補佐官だったな。記憶など無くとも私は私だ。何も変わらん。安心したまえ」
エドワードを守りたいという気持ちがロイ自身の根底にはあるのだ。これがいつか恋に変わるのだろうか?それともこれは情、なのだろうか?
どっちにしろ、私は鋼のを手放す気などない。側に留めておきたい。誰かに渡す気もない。ならば気持ちなど固まらなくとも、守ってやる。二度とこんなふうに泣かせはしない。
「車を、官邸まで回します」
ホークアイは銃を仕舞うと、執務室から出て行った。ロイは涙に濡れたエドワードの瞼に唇を寄せて、それをそっと啜った。


懐かしい感触がして、エドワードはゆるゆると意識を浮上させた。自身の頭の下にはロイの腕があった。背に回された手も暖かで。ぼんやりとエドワードは自分を抱え込んで目を瞑っているロイを見た。
……腕枕。そか、よくしてもらってたもんな、だから懐かしくて。え、腕枕?
エドワードはその自分の思考によって瞬時に覚醒し、身を起こした。
「な、なんで、腕枕、なんかしてんだよ」
「おや、嫌だったかい? 」
ロイは微笑んで、ゆっくりとベッドの上に身を起こした。
「嫌なわけねぇよ。だけど……」
「だけど?なんだね」
「期待しちまうだろ、んなことしてる余裕なんてねぇのに」
「大事なことだろう?これも」
「こんな微妙な時に個人的な感情なんて後回しにしろよ。」
「後回しにできないから君は倒れたのだろう。さっきだってあんなに泣き喚いて」
ロイはエドワードの髪をゆっくりと柔らかく撫でてやった。エドワードはその手を払うと、ふいと横を向く。ロイは手を払われたことには気をとめず、もう一度エドワードに手を伸ばす。今度はエドワードもその手を払う事はしなかった。
「いいんだよ、オレのことなんか。側にいさせてくれれば、それでいいから。……アンタが誰か選ぶまででいいからさ」
「いつか君じゃない誰かなど、選びはしないぞ。だから安心して私の腕の中にいたまえ」
ロイは腕を伸ばして、発言の通りエドワードを腕の中に収めようとした。が、エドワードは腕を張って、それを拒否する。
「ちょっとまて。アンタ、記憶は『大佐』のままだろ。オレのこと別に……好きとか思っちゃいねえだろっ!」
泣き出す寸前の顔だとわかる。エドワードの言葉も態度もロイを突っぱねている。けれど、もう私は君の強がりなどは聞いてやらない。気がつかないフリなどしない。どうすればいいのかなどと迷わない。さあ、だから私の腕を取れ。
ロイは瞳に力を込めて、重々しく自身の口を開いた。
「……好きだと言ったら、君はどうする?」
「嘘、言わなくていい。同情とかならそんなのいらねえ」
泣き出しそうだったエドワードの瞳が鋭い光を反射する。虚言には意味が無いのはロイにもわかっていた。けれど、好きだという言葉で誤魔化されれば楽なのにな、とも思う。エドワードを泣かせないためには、そう、ロイ自身にも覚悟が必要だった。お互いの本心を曝け出す。嘘や欺瞞や気休めではなく。相手も自分も傷つくかもしれないが、本音しかこの状況を打開できるものはないのだから。
「ならば、私の本心を言おうか?その通り私は君に恋はしていないと思うよ。私の気持ちを言葉にするのならば愛ではなくて、情だ。例えるのなら……そうだな、一番近いのは父性愛だと思うのだよ。後見人として、君を大事に思う」
エドワードは目を伏せる。
これが決定打だ。やっぱり以前のような恋情をロイは自分に向けは出来ないのだ。わかっていてもはっきりと明言されればエドワードの心臓は痛んだ。
情だと言った。『大佐』が自分に向けていた気持ちはやはり、そういうものでしかないのだと駄目押しを食らったようなものだ。部下としてなら大事にしてもらえる。それだけで満足できるのなら、側にいられる。いっそ、心を捨ててしまえればいいのに。大事にしてもらってる。それだけで満足できればいいのに。
……なんで、できないんだろう。それで満足できればずっと側にいられるのに。
目をぎゅっと瞑って下を向いてしまったエドワードの髪を、ロイは優しく撫で続けた。エドワードはもはやそのロイの手を払う気力もないようだった。ただ、うつむいたままで。もしかしたら、撫でられていることすら気がつかないのかもしれなかった。
ロイはそんなエドワードにゆっくりと語りかけた。
「だが鋼の。矛盾したことを言うようだか私は君に対して肉欲もあるのだよ。抱きしめたい、よりももっと強く抱きたいと、だね。この間のように。 ……今の私はきっと君に対する気持ちが出来上がっていないんだ。そう、例えばワインのようなもので醸造までには時間がかかる。けれど時をかければいつかは完成する、そういう気がするのだよ。 記憶のない私が断言するのもおかしいが、以前の私は君にゆっくり恋していったのだと思っている。本当はいつだって大人扱いするのではなく君を守りたかった。その情が時を経て愛情になり、そうして指輪を贈るまでの気持ちに変わっていった。そう確信している。だからもう少し待っていてくれないか?必ず私は君に恋をする。今は未だそこまで強い感情は無くとも、絶対だ。だからこんなに無茶をしないでくれ。鋼の。君、夜もまともに眠らずに働き詰めでは、倒れるのも当然だ。きちんと食べて、夜は眠って。そうして待っていてくれないかな。私が君に恋に落ちるその時を」


続く
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